中原秀樹
東京都市大学名誉教授
(公財)地球環境戦略研究機関IGESシニアフェロー
(社)日本エシカル推進協議会名誉会長
コロナ、ウクライナということでまず見ていただきたいのがこの図1です。この表はダボス会議で著名な世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表しているグローバル・リスクです。2023年1月に発表した最新情報から筆者が日本語に訳して作り変えました。ご覧になって、皆さんのリスク評価と比べていかがでしょうか。
2021年は節目の年だったが
2021年を節目の年と書きましたが、世界はどう変化しているのでしょうか。良い方向に、それとも悪い方向に向かっているのということです。私が着目したのは2021年は、9.11から20年。3.11から10年の節目に当たるということです。
2001年9月11日同時多発テロ事件がアメリカ社会を一変させました。2011年3月11日東北大震災で見えてきた豊かな日本の不平等。貧困率はOECDで17位、経済格差は広がり続け、特に近年の若い人の貧困は様々な犯罪の温床にもなっています。日本の相対的貧困率は、約15%とG7の中ではワースト2位。高齢者世帯や一人親世帯を中心に、6人に1人が相対的貧困に直面しているのが現状です。
2020年からは人類の歴史の中でも特に混乱の時期といえます。新型コロナのパンデミック後の新たな常態への回帰は、ウクライナでの戦争勃発によってすぐに混乱し、サプライチェーンの大混乱で、食料とエネルギーにおける新たな一連の危機をもたらしています。
命の選択が行われたパンデミックとウクライナ
新型コロナのパンデミックはトリアージュという命の選択を余儀なくしました。「置き去りにされたものは何か」。そのためには事実の検証なしに未来を考えることはできません。まず考えたのがコロナで置き去りにされたものは何かということです。そしてウクライナ市民の「誰も助けてくれない」という言葉が胸に突き刺さっています。9.11から20年、3.11から10年、そしてスペイン風邪のパンデミックから100年にあたります。2022年はこの節目の年から、天国とか地獄のどちらに向かうのか世界の行方を占う年であったのです。
異常気象が「普通」になった
避けて通れない大問題は、WEFのグローバル・リスクが言及しているように「気候変動対策の失敗」です。日本も自然災害の甚大さに伴い、天気予報やニュースでは「いのちを守る行動をとってください」というおどろおどろしい表現をとるようになってきました。
2019年1月スイスの災害疫学研究所(CRED)がEM-DAT(国際災害データベース)に記録した281件の災害を分析したところによると、昨年は、地震と津波による死者が災害による死者1万733人の大半を占める一方で、自然災害の被災者6,170万人の大半は、異常気象によるものでした。世界では異常気象による死者が1万人を超え、日本でも419名の人が亡くなりました。
持続不可能な地球環境を裏づけるデータが、1972年のローマクラブの成長の限界であり、1988年のIPCC第1次評価報告書に引用されています。そして分かり易いのは、地球の破壊を指摘した2001年のペリー教授の環境リスクで、第3次評価報告書に引用されおり、感染症のパンデミックをはじめその予測はすべて当たっています。
ハワイ大学のカミロ・モラ教授の調査によると、極めて深刻な問題は、異常気象は2047年から「普通」になり、2020年にはすでにインドネシアで始まっています。気候変動の影響を最も受けているのは、貧しい国の人たちや社会的弱者です。UNICEFの子どもの気候危機指数(CCRI)は、沿岸洪水リスク、サイクロンのリスク、熱波のリスク、水不足のリスクそしてベクター媒介性疾患のリスクといった様々なリスクに、世界中の約10億人の子供たちが極めて高いリスクに巻き込まれると予測しています。
さらに世界は「貧困や飢餓を終わらせる」というSDGsの強い決意にもかかわらず、コロナの影響で1億3,200万人が飢餓に陥るとFAOは予測している。世界の飢餓者数は2021年に8億2,800万人に増加しました。
次世代を担う子供たちに降りかかるリスクは、「大人は老衰で死ぬが僕らは気候変動で死ぬ」と訴えざるを得ない状況になっています。今から30年前の1992年リオサミットでは、「大人のみなさん、どうやって直すのかわからないもので、地球を壊し続けるのはもうやめてください。犠牲になるのはわたしたち子供の未来です」と小6の少女セバンちゃんから叱られ、2019年9月23日、ニューヨークで開かれた国連気候行動サミットに出席した16歳の少女グレタさんは、地球温暖化に本気で取り組んでいない大人たちを叱責しました。
「誰も置き去りにしない」と誓ったSDGs。「絶対的貧困や飢餓を終わらせる」というが、それは平等(EQUALITY)にということか、それとも公平(EQUITY)にということなのか。環境・社会・経済の公平な分配とは何か、問い直さざるを得ません。パンデミック、ウクライナそして気候変動はSDGsとは何かを見直す最良の機会であり、人類に与えられた最後の機会かも知れません。
コロナ、ウクライナ、そして気候変動で考えた持続可能な社会
新型コロナのパンデミック、ウクライナでの戦争が非常時になった時、わたしたちは危機と叫びました。グローバル・リスクが指摘しているように日常生活がひとたび崩れてしまうと、わたしたちはたちまち立ち往生しました。それまでの日常生活が実に複雑なメカニズムから成立ち、いかに疑問の多いものであったかを思い知らされています。
危機・危険が見えない。新型コロナは見えない。エイズは見えない、ダイオキシンは見えない。核攻撃による放射能も見えません。もしも危険が見えてきたら手遅れでしょう。因果関係の完全な証明ができない限り、危険の除去に対して手遅れとなり、因果関係が完全に明らかにならない限り、世界的な合意形成は不可能なので、予見される結果を防止することはできないかもしれません。
21世紀の特徴は、「見えない」ことであり、持続可能な社会の前に立ちはだかっていることを忘れてはなりません。(了)